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第17話  Aumakua(アウマクア)

アウマクアはネイティブハワイアンが持つ祖先神、守護神のことだ。ハワイアンがハワイの生き物を個人や家を守る大切な祖先として崇敬する象徴である。
私は日本人なので、元来アウマクアは持っていないが、いつもHonu(亀)のものを身に付けている。
それは私をハナイ(養子)にしたネイティブハワイアンの父、Moe Keale (モエ・ケアレ)のアウマクアがHonuだからだ。
アウマクアは単なるお守り的意味だけでなく、祖先たちが共に生きて来た、共存して来た家族であり、分身でもある。
Keale家はHonuとMano(鮫)と共に生きて来たと聞いている。
もし子孫として正しく生き、守られているならば世の中で恐れられている鮫に出くわしたとしても恐がることなどない。
私の知っているハワイアンにも、ハワイの先住民の伝統を受継ぐ家系のひとつ、フィッシャーマンの家系の人がいる。マスタークム フィッシャーマンであった彼の父親はアウマクアである鮫と、まるで戯れるかのようにいつも一緒に泳いでいたそうだ。
これこそ、まさに“アウマクア”である証しだ。
私がHonuのものを身に付けているのは、私をハナイした意味を語ることなく、しかし、多くの贈り物を私に残し、いまだに私に数々の奇跡を起こし続けてくれる、父 モエ・ケアレといつも共にいる、そんな気持ちからなのだ。
アウマクアは時として、何かの指針やシグナルを示すものでもある。
さて、アウマクアにまつわる私の3つのおもしろい体験について話そうと思う。

数年前にオアフ島ハレイワ方面にある、観光客にも有名なホヌビーチ、プエナを訪れた時のことだ。
ここは砂浜で思い思いに甲羅干しをする無数の亀を見ることができることで、いつも多勢の観光客でにぎわう、人気のスポットだ。砂浜に続く岩場では、岩についた苔を取り亀の餌付けをする人たちもいる。
あくまで自然生息の状態を守るため、亀に触ることは禁止されている。
その日、私も苔を手にして海の中に腰まで入ると、あっという間に数匹の亀に取り囲まれた。時々亀の甲羅が脚にあたると、痛いくらいそれは硬かった。
夢中になって苔を亀の口に入れていたそのとき、突然鋭い痛みを太もものうしろに感じた。
私はあわてて海からあがり、痛みを感じた部分を見ると赤くなっていた。
どうやら亀にパクリとやられたようだった。
次の瞬間、私は痛みよりも、この出来事に不安を覚え、すぐにある人に電話をした。
“アウマクア”にパクリとやられるとは、知らないうちに私は何か悪いことでもしているのかと思ったのだ。
しかし、私の心配をよそに、話を聞いた人は笑っていた。もし、悪い知らせや制裁であるときは姿を隠していて突然に姿を表わすと、人の指を喰いちぎるほど咬むというのだ。そういった事件は多々あるらしい。
私の状況はそれとは違ったので、話を聞いてホッと胸を撫で下ろした。
そして翌日、変色し、打撲あとの青あざのようになっていた跡を見て、おもしろいことに気がついた。
ある“紋様”がはっきりと浮かび上がっていたのだ。
まわりの人は、ミカはHonuにキスマークをつけられたと、皆笑った。
私はこのアクシデントで、亀の口型を知り、その形と共通するものがあることを知るという珍しい体験をしたのだった。
おそらく、Honuがアウマクアであった昔のハワイの人たちも、亀が何かにつけたものから、この口型を発見したのかもしれない。
しばらく消えなかったこの紋様を私は時々鏡に映しては、少しうれしい気持ちで眺めていた。
そして、そのうち消えた紋様を記憶の中にしっかりとどめたのだった。

次はMano(鮫)の話しをしよう。
もう前後のストーリーが思い出せないのだが、私は両足を鮫にパクリとやられた。
と言っても、これは夢の中での話しだ。とても不思議な夢だった。
私は海で何かにまたがり、両足をダラリと海の中にたれていた。
2匹の鮫がやって来て、私の両足の先を1匹ずつが、噛むというよりはパクリとくわえた。ちょうど“充電”していたような、そんな感じだ。
さすがに驚いたが、足から鮫が離れた時に足は何ともなっていなかったので、そんな気がしたのだった。
鮫はKeale家のアウマクアというだけでなく、私のフラの師の家系のアウマクアであることから、おそらくフラに関する“サイン”であると考えた。
クムにこの夢の話をすると、とても興味深げに何か頭の中で考えている様子で聞いていた。
しかし、その表情から、どうやら悪いことではないのが察知できた。
この夢が何を意味するかは、いずれ時が来たらわかるだろう。

最後は、2008年8月3日の出来事だ。
この日、私は Kauaiの Kekahaから Lihue に引っ越したばかりの、私をとてもかわいがってくれている、父モエ・ケアレの姪である、おばさんを訪ねていた。
引越し後の整理や新しい家具の調達などお手伝いのためだ。
おばさんは、私の家はミカも自由に使いなさいと、私の部屋を用意してくれていたのだ。
私が家具の一部や食器を揃えたり、自然な形で協力し合う特別で良い関係だった。
私がオアフに戻る日の朝、私たちはWaimeaのハワイアンの教会に行き、礼拝のあとNiihauの人たちと話したり、お昼を食べたり、あれこれしているうちに、あっという間に飛行機の時間は迫ってきていた。
おばさんは脳梗塞の後遺症で半身が不自由とは思えないほど、普段からアグレッシヴで、車の運転もなかなかの腕前。
見事なハンドルさばきでワイメアからリフエのエアポートまでの道程を、車をふっとばしていた。
私は後部座席で時間とスピードに多少不安を抱きつつも、見慣れたカウアイの美しい景色を眺め、楽しんでいた。
その時、横の窓から風景を見ていた私は、ふと前方から視線を感じた。
視線の先のフロントガラスからは、道に沿って延々とつづく電線が見えていた。
するとその電線の中程に大きな影がこちらを見ていたのだった。
かなり手前から発見したが、はっきりとシルエットとやや斜め下向きに、ちょうど私たちの方を見ているような角度でじっとたたずむ姿は、間違いなく“Pueo”だった。
私は瞬間に“Pueo!Pueo!”と指を指しながら何度も叫んだ。
おばさんも助手席にいた主人も私の声でその姿を確認した。
車はアッという間にPueoの位置を通り越したが、私は振り返り、後部窓から“Pueo!Pueo!”とまだ叫んでいた。
興奮がおさまらなかったのだ。
おばさんは“Very unusual!This is a good sign”と言った。
とても特別で滅多にないことだと、私もわかっていた。
Pueoもハワイアンのアウマクアとされている生き物のひとつだ。
オアフに戻ると、私は早速クムにこの出来事を話した。
クムは目を輝かせ、とても納得したような顔をして、これは“サイン”なのだと言った。
そしておもしろい偶然の話しをしてくれた。

以前、私と同じ体験をしたある人がPueo の古典フラを教えて欲しいと私のクムを訪ねて来たらしい。
Pueoは対照的状況であるその人と、私に何らかのサインのため現れたというのだ。
現代の古典フラ、と言われているカヒコは本来の古典フラのモーションに手を加え、変えた人達の新しい”振り付け”のフラとして世の中に知られている。
本来の古典フラは伝承すべき事柄や歴史事実をその役目を担う特定の人とその家系代々の選ばれた人達によって、あえて書き残さずに言葉の代わりにモーションで残されたものであり、動きには多くの秘密が隠されており、単なる振り、や踊りとは違う。
よって、変えた創作作品から本当の意味や内容を知ることは、窮めて不可能に近い。この点が何をもってフラというのか、大事なところだ。本来のフラを継続して学ぶことなく、必要な時や、限られた数のモーションを手に入れては手を加え、変えた人たちは、元々、”役目”としての系図を持ったクムではないので、そのフラは創作作品としては現代においてはあり、かもしれないが、その多くが継承者・伝承者を語るのは誤りで、何ともあさましい感じがする。
いずれにせよ、私たちはアウマクアを含めて、行いの全てを、人間は見過ごしても自然は常に見ていると感じて過ごしたいものだ。
この次にアウマクアからのお知らせ、が来る時が楽しみである。 
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by ohanaokeale | 2009-06-15 21:31