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第15話  Aunty Genoa アンティ ジェノア

 その日は早朝、まだ外が暗い時間に、私にお知らせを告げる “いつもの鳥” が、ひときわ大きな声で強く私に呼びかけていた。私は目を覚ましたが、再び眠ることにした。いつもなら声をたよりに鳥の居場所を探し Oli を捧げるのだが、この暗闇では到底姿を見つけられない。
 しかし、ふと頭をよぎった事があった。前日、アンティ ジェノア がもう長くはない、というお知らせが彼女の通う教会で家族から告げられた、という電話を受けていたのだ。
 Aunty Genoa Keawe は89歳で、現役を続けていたハワイを代表するファルセットボイスのレジェンド歌手だ。ハワイで彼女を知らない人はいない、皆に愛された歌手の一人だ。皆が親しみを込めて “アンティ” と呼んでいた。
 実はこの “アンティ” や “アンクル” を名前の前につける呼び方は、ハワイではよく聞かれる言い方で、親しみを込めて言うハワイ独特の呼び方と解釈されているが、そうではない。正しい使い方は、個人的に親しい間柄の時にのみ使われていたのが、現在は誰でも〝気軽〟に〝安易〟に使うようになったとクプナ(年配の知恵を持った人)から私は教わっていた。アメリカナイズされた今のハワイ人は知らないのだ。ここで私が〝アンティ ジェノア〟 と呼ぶのには、もちろん訳がある。
 2008年2月25日夜中に、 Aunty Genoa は89歳の生涯に幕を下ろした。悲しく、とても残念なことだ。でもアンティは十分に、きっとそれ以上に、彼女の天命を果たしたと人々は感じていることだろう。
 体調を崩して入院していたアンティは、家で最後を迎えたいと自ら帰宅を申し出たそうだ。そして、1月まで出演していた木曜日のマリオットホテルを訪れ、孫の歌う姿を見届けたという。
 ここに Aunty Genoa が私に語った話から、大切な何かを感じ取ってもらえたら、アンティも喜ぶのではないかと思い、ペンを取ることにした。
 アンティは古くからとても親しくしている、アンティと私の共通の友人にいつも、私と主人についてたずね、気にかけてくれていた。そして彼女の通う教会に顔を出すように、と言ってくれていたが、決して私たちを入信させようとしていたわけではなかった。
 さて、昨年2007年のある日曜日、私と主人はアンティに会うために教会のサービスに出席することにした。私があいさつに行くと アンティ ジェノア はとても喜んで、となりに座るよう私に言った。
 そしてアンティはサービスが始まるまでの間、ある日本人のフラの先生の名を口にし、私に話を始めた。
私はその人を知っているか聞かれたので、名前を知っていると答えた。すると、アンティは日本で開かれるコンサートのゲストに来てほしいと彼女に頼まれたという。しかし、アンティにとり、大切な日曜日が日程に入っていたので断ったのだという。
 すると、そのフラの先生は、〝もう少しお金を払うから、ぜひ来て欲しい〟とお願いしたという。アンティは眉間にシワを寄せ、そしてとても悲しそうだった。
 〝ミカ、わかる?〟と、静かな口調で言ったアンティに、私は〝わかります!〟と答えた。アンティはこう続けた。
〝ミカ、私の声は神様にもらった贈り物なの。特別な贈り物なの。だから私はずっと歌ってきた。自分の子供さえ、私より先にこの世からいなくなっても、それでも私は生かされていて、歌っている。だから日曜日は私が唯一、一日中仕事をお休みにして神様に感謝をする大切な一日なの。〟
 私は、私をじっと訴えるような目で見て話すアンティに〝よくわかります!〟ともう一度答えた。そして、〝お金の問題じゃないのよ…〟アンティはつぶやくように言った。
 私はアンティと長い間交流を持ち、有名で顔の広いアンティに、いろいろな人を紹介してもらっていた日本人のフラの先生を、ここで批判するつもりは全くないが、頼まれれば快く、できることはしてあげてきたアンティの心をわかっていなかったことをとても残念に思う。
 昔、アンティは日曜日もエンターテイナーとして仕事をバリバリしていた。しかし、ある時からピタリと日曜日の仕事を止め、それからは毎週、毎週必ず教会に来るようになったという。きっとアンティの中で何かがあったに違いない。大切なことに気づいた何かだ。そして最後まで自分の人生を天に感謝しながら、天命をまっとうしたのだと思う。
 ホノルルのお葬式は、もちろんTV中継もされ、5000人を超える人が駆けつけた。数日後、ライエの小さな教会でも人が集まった。私と主人はそれらの式には出席せず、その週の日曜日、アンティの通っていた、いつも通りの教会に向かった。少し遅く到着したため、道路端には駐車スペースはもうなかった。当然いっぱいであろうと、教会の駐車場に迂回するために入って行った。もちろん満車状態だった。
 ところが、出口近くにさしかかると、ラッキーなことに他のところより、広く線で仕切られたスペースが、たったひとつ空いているではないか。私たちが車を止めよう進んで行くと、そのスペースのすぐ前に駐められていた車のナンバープレートは、〝GENOA〟 だった。家族が乗ってきたアンティの車だ。主人と思わず顔を見合わせ、私たちは自然に笑みがこぼれていた。今日、ここに来た私たちの気持ちは、アンティに伝わったのかもしれない。
 アンティが大切な胸のうちを語ってくれたことは、私にとって貴重な贈り物となった。そして、ハワイのリビングにはアンティが〝今日出来上がったばかりの、最初の1枚よ〟と言って、私にくれた白黒のポートレートがサインと共に飾られてある。
 4月6日さくら咲く日本で、Aunty Genoa の声は春の空のように澄み渡り、春の日差しのようにあたたかく、 Hua Akala そう、さくらの花びらのように、天空高く舞った。私たちは、アンティの思い出を胸に踊った。
 フラは、ハワイに欧米文化が上陸し、現在世の中で主流となっている〝新しいフラ〟が生まれた。しかし、本来のフラ、ハワイに元々あったフラの本当の姿は、山に、海に、太陽に、月に、雨に、風に、そして人々への〝祈り〟だ。あらゆるもの、ことに新しさを追求し、時代は変わり、進歩、進化を遂げても、祖先の心は決して変わらない。変えられるべきものではない。住む人が変わり、自然も破壊され、景色は変わっても〝魂〟はそこにある、生き続けていると考えたい。フラにモダンもカヒコもない。フラはフラだからだ。
 そのフラの本質がないがしろにされている現代はとても恐ろしく思える。いつからか、人はフラを、口では本来のフラの持つ意味をキャッチコピーのように語りながら、実際のフラとは程遠い、利己的な欲の道具として使うようになった。
 私は、生徒と共に、昔のハワイの人々が持っていた魂(マナ)の存在する〝フラ〟を、その心を忘れずにこれからも踊り続けていくだろう。
 アンティ ジェノア をはじめ、大切なことは何かを考え、見つめるチャンスをいつも与えてもらえる人達がいることをありがたいと思う。もちろんモエ・ケアレもそうだ。
 その人たちの心、祖先の心を裏切ることなく、生きて行きたい。

 最後に、このミスティックハワイは、毎話15日という日を選んで更新してきたが、本日4月15日についてひと語。
 極めて私的な事だが、私がプロのミュージカルダンサーとしてデビューとなった日、東京ディズニーランドの開園記念日であることが一つ。二つ目は、人生の大きな変化である結婚記念日。そして三つ目は、ハワイの父、モエ・ケアレの命日だ。人生の転換となった三つの大きな出来事の起きた日、それが4月15日なのだ。
 そしてもう一つ、偶然にも気がつけば、今回は第15話ではないか。 Aunty Genoa という特別な人について話すことにしたことが、偶然の不思議をここにもうひとつ起こしたような気がしている。
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by ohanaokeale | 2008-04-15 00:40