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第12話 Puu Anahulu

 ここ数年11月になるとハワイ島での“フラの奉納”がハラウの行事として恒例になりつつある。ハラウのモットーでもある“昔の人たちが大切にしていたことを続けて行く”活動のひとつだ。
 そこにフラ本来の重要な役割や本質を見ることができる。そしてそこには真の魂とスピリットが存在する。さてこの活動については別の機会に話すとして本題のハワイ島で出合った、ある“mele(歌)”についての話しをしようと思う。
 2004年7月、私はKumuとハワイ島で車を走らせていた。Kumuは窓から見える景色の全てについて説明をしていた。木々、草花、土地にまつわる歴史、伝説、自然現象等など.。私は耳も目も全開状態で窓の右左をキョロキョロしながら、Kumuの口から発せられるハワイ語をひとつも聞き逃すまいと復唱しつつ、時おり速記のごとくメモを取っていた。このやり取りはいつでもどこでも当たり前になっていた。だいぶ慣れてきて耳もかなり良くなってきたように思う。
 そして、本来「Kumu」とはどのような人のことを指す言葉か?というと、そのひとつは“ハワイの風、雨についてどこからどこに、どんなふうに吹いたり降ったりするのかを知っていること”だ。
 以前、私に生徒がいることを知ったあるハワイのミュージシャンが自分のステージに私を呼び「彼女は日本のクムで、、、」と紹介した時に、私は自分をクムと言わないで欲しいと訂正し、意外に思われたことがあった。もちろんカッコつけや偉そうな気持ちからではない。どんなに踊りを褒められても、ぜひあなたに教えたいなどと怪しい誘いがあっても、得意になるどころか自分が学ばなくてはいけないことは何か、知らないことは何かを常に模索していたからだ。
 明確な根拠に基づいていたわけではないが「Kumu」とは特別なものを授かった人のことで、例えハワイですら誰でもがなれるものではないことを何となく気づいていたのかもしれない。かくして、この“気づき”は間違ってはいなかったと思うこの頃だ。
 最近では、フラの振り付けをする人を皆クムと呼ぶようだ。振り付けされたフラと、昔から存在する本来のフラの違いがわかる人は少ない今日だから仕方がないかもしれない。
 さて、話を元に戻そう。景色の中で私が特別に心を惹かれ、とっさにスケッチをした場所があった。私は通り過ぎても目に焼きついたひとつひとつを細かく覚えていて描きとめていた。そしてKumuに教えてもらった場所の名をそこに書きとめた。
 それから数週間後、私はアメリカ本土、オレゴン州にいた。
 Moe Kealeに生前、私のことを聞かされていたという甥の一人に呼ばれ、踊るために遥々この地を訪ねていた。ハワイからGeorge Kuo,Aaron Mahi,Martin Pahinuiらがゲストで来ていた。彼らはワイキキマリオットホテルで毎週日曜日に演奏をしていたがこの旅がきっかけですっかり親しくなったのだった。そして私は、数週間前にハワイで絵に残していた景色を、遠く離れたオレゴンで心の中に再現することとなったのだった。  
 一日目のステージ、彼らの演奏を聴いていたとき、ある一曲が私の心を捉えた。
 Martinの歌声は、昔はじめてMoeさんの歌声を聞いた時と同じ感覚で何故か懐かしく、私の血液の中にしみ込むように流れ込んできた。私の身体は固まり、心が震えていた。そのメロディーが頭から離れなかった私は、次の日も口ずさんでいた。翌日のステージの合間、ついに私はMartinに頭に残っていたメロディーの一部を歌い、「この歌が好きなんですけれど、タイトルを教えていただけますか?」と尋ねた。Martinは「ああ、ああ、それはプウアナフルだよ。」と答えた。プウアナフル?Puu anahulu?数週間前、ハワイで私がスケッチした景色、まさしく“Puu Aanahulu”だった。
 その夜、ホテルの部屋で、いつも持ち歩いている分厚いフラのノートを開き、鉛筆で描かれた紙をじっと見つめた。Martinの歌が頭の中で流れると、目の前の絵に色がつき、私は“Puu Anahulu”の場所に風に吹かれて立っていた。
 それから数ヶ月後、私は“Puu Anahulu”を踊っていた。何故か熱いものが込み上げ涙が溢れた、、、、、、。

     Nani wale Puu Anahulu i ka iuiu
     Aina pali kaulana puu kinikini、、、、、

 私が心惹かれた理由が何かきっとあるにちがいない。いずれ、それを知る日が来るだろう。
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by ohanaokeale | 2007-11-15 23:38