第14話 ニイハウ オハナ その2

 カウアイ島とニイハウ島を行き来して暮らすおばさんと親しく付き合うようになった私は、頻繁にカウアイ島を訪れるようになった。それによって体験している感動的な出来事については追々話すとして、2007年8月にカウアイ島で出会った人について話さなくてはならない。
 カウアイでの滞在中はおばさんに言われた通り、ニイハウの家族と共に過ごし、私がハワイ語に慣れるように子供達もハワイ語で私に話しかけるようにしたり、貝の選別を手伝ったりして過ごす生活だ。おばさんは私の手料理がお気に入りで、リクエストに答えてイタリアン、煮物、寿司まで作る。多いときは家族全員で10人以上集まる。元々料理好きなので、すし桶まで持ち込み、職人のように“にぎり”までトライし、結構楽しい。
 夜、おばさんと私は皆が寝た後も話しをしたり、指示されたとおりに片づけや、言われた用を済ませてから横になる。何故なら半身が不自由なおばさんは一人では何かと大変なのだ。いつも一緒にいられるわけではないからこそ、出来るときに精一杯しておきたいと思う。
 その日、昼間おばさんは仕事に行き、他の家族も夫々出かけていたので夕方近く私は主人と車でNohiliの海岸端まで出てみることにした。以前にも行ったことのある場所だったが、海岸に出るまでの道は舗装のされていないひどいデコボコ道でうっかり口をあけていたら舌を噛むか、首や腰の骨を捻挫するのではないかと心配するくらいひどいコンデションの道だ。
 やっとデコボコ道が終ると砂が道まで覆っている軽い砂丘状態を超えてようやく辿り着く。前回、砂丘状態の地点で、普通乗用車の私たちは見事にはまり身動きがとれなくなった。何を思ったか主人はまたもや無理やり突破を試み、もちろん、車は砂に埋もれ止まった。前回は止まるや否や、待機していて車を助けてはお礼をもらう仕事?の人が現れたが、今回は出て来なかった。しかし、運良くビーチバーべキューをしている地元の人に助けを求め、ようやく脱出した私たちはそそくさと、ろくに海も見ず家路を急いだ。
 その帰り、ほとんど木もろくに生えていない乾燥した畑に“ある鳥”が現れた。その鳥はある時から、私に良い知らせを告げる幸せの青い鳥ならぬ、不思議な鳥だった。まさかこんな運の悪い間抜けな出来事のあとに、いったいどんな良いことがあるのかといささか、けげんに思いつつも少し気分を良くし、おばさんの家に戻った。
 家はまっ暗で誰も帰っていなかった。どうやら夕食の支度をする必要がなさそうなので、私たちはどこかで外食をすることにした。といってもカウアイのこのあたりはほとんど何も無いので、最初に見つけたレストランに入った。奥からハワイアンの生演奏が聞こえてきた。ウエイトレスがミュージシャンのすぐ横の席に案内した。その席しか空いていなかったのだ。カウボーイハットにウエスタンブーツを履いた男の人がギターを弾きながら一人で歌っていた。
 “Waialae”という歌だった。この歌を歌う人は珍しかった。聴いている人で知っていた人も少ないかもしれない。私はモエさんが歌っていたのでもちろん知っていたのだ。私が徐々に歌に引き込まれていくとその人は次に“Ua Mau”という歌を歌い始めた!
 この歌は、ニイハウの本にも伝説が出てくるモエさんのおじいさんが作った特別なファミリーソングだった。私は鳥肌が立つと同時に涙がとめどなく溢れた。この人はいったい誰なのだろう?十番まであるこの歌をこの人は何も見ずに最後まで歌いきった。それどころか心の底から思いが込められているのがひしひしと伝わってきた。
オハナ(家族)、だろうか?
 演奏が終るとその人は私たちのところへやってきた。どこから来たか尋ねられたのでオアフ、と答えた。きっと席に着くなり自分の歌を聴いて泣いていた不思議な観光客と思っただろう。私は何か尋ねようか迷っていたが、何故かこの人は間違いなくモエさんに関係のある人だと確信したと同時に「私はモエ・ケアレのハナイです。」言葉が口から出ていた。と、その瞬間その人は天に向かって握りこぶしを高く上げて「Aloha Ke Akua!」と叫び、私を力いっぱい抱きしめた。そして何度も何度も繰り返し天を仰いだ。
 この時まだ私は、Uncle Manaが何故これほどまでに私との出会いを喜んでくれたのかを知らなかった。彼はMoe Kealeの甥で最後のニイハウのケアレ、ジョン・カイマナ・ケアレJr.だった。私をかわいがってくれるニイハウのおばさんの弟だ。
 そして、感動的な出会いの翌月の9月14日、Uncle Manaに再会した日が最後になるとは、その時思いもしなかった。
 9月、私はニイハウのおばさんが作詞し、2007年度の“NaHokuHanohano Award”のHakuMele(最優秀作詞賞)を受賞した”Niihau”という歌をニイハウの子供達に教え、コンサートで踊るという特別な機会を与えられ、カウアイ島を訪れていた。
 コンサート前日の早朝、あるカフェでUncle Manaとバッタリ会った。彼は一緒に来ていた友人二人に私を紹介した。
「僕のおじさん、モエ・ケアレを知ってるよな?彼女はアンクルモーのハナイなんだ!」
二人はへえ~!という感じだった。そしてUncle Manaは彼らにこう続けた。
「アンクルがカウアイに来たときに日本人のハナイのことを聞いていたんだ。ついに会えたんだよ!」
とても感慨深げだった。モエさんが亡くなり5年も経つ、いつ話したのだろう?それでこの人は私に会えたとき時に、あんなに喜んでくれたのだ。
 私が持ち歩いている勉強のファイルのモエさんの写真を見せると、自分の顔を横に持って行き、友人に見せて「どうだ、似ているだろう?」と得意そうに笑った。モエさんのお葬式で、お棺の横で一晩中立っていたのがUncle Manaだった。
 2007年12月13日、50歳でUncle Manaはモエさんのところに行ってしまった。
一度しか聴くことのできなかった彼の歌声と、天を仰いだ姿は私の頭と心の奥深く刻まれ、素晴らしい贈り物となった…….。
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by ohanaokeale | 2008-01-15 00:26


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